サロマ完走記(序章)

あと1kmの表示を過ぎた。
ボランティアの子が僕のゼッケン番号を無線で読み上げ、ゴール地点へ伝えている。
もうここまでくれば脚を攣っても何しても、這ってでもゴールしてやる。
大丈夫、やっと100kmの長い長い道のりを走り終えることができそうだと、ここで初めて確信した。
初めてのフルマラソン、39km地点で意識が途切れた僕にとって、初めてのサロマ、ここまで99kmの道のりはずっと自分を信じる旅だった。
最後の直線を右に折れると、ゴールゲートに続くビクトリーロード。
前後の間隔を最終確認し、サングラスを取った。
僕のゼッケン番号と名前が高らかにコールされ、続いて前日に僕が書いておいたメッセージカードが読み上げられる。


2005 青島太平洋マラソンにて、自身2度目のフルマラソンを2:53’08で完走し、サブ3を達成。
『アオタイ完走記(完全版)』


2006 富士登山競走に初挑戦し、3:32’37でサブ4完登を達成。
『笑顔の富士登山競走』


そして2007 サロマ湖100kmウルトラマラソンに初挑戦し、8:54’26でサブ9完走。
ついに市民ランナーのグランドスラムを達成。

カメラが上についているのは知っていたけど、喜びをかみ締めるようにうつむき加減で、生涯初めてのゴールテープを切った。
両手を大きく横に広げ、指を3本突き立てているのはグランドスラムを表していた。

遅くなりましたが、サロマ湖100kmウルトラマラソン、完走記を記します。

サロマ湖100kmマラソンのおさらい

ここでいまさらながらですが、サロマ湖100kmマラソンのおさらいをしておきましょう。
サロマ湖とは、道東のオホーツク海岸の北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡湧別町にまたがる湖で、琵琶湖、霞ヶ浦に続き日本で3番目に大きな湖です。
オホーツク海の湾入部が堆砂によって海と切り離された海跡湖で、湖水はほとんど海水です。
湧別町をスタートし、常呂町にゴールするこの100kmウルトラマラソンは、日本陸連公認のレースです。(もうひとつは四万十川ウルトラだけが公認レースです)
今回で22回の開催となり、長い歴史からウルトラマラソンの聖地と呼ばれます。
このサロマ100kmの部を10回以上完走したメンバーに与えられる称号、サロマンブルー。
サロマンブルーメンバーになると、栄光のブルーゼッケンが与えられ、大会開催中は専用の待合室や着替え室が用意されるなど、待遇も違いますし、ゴール地点には彼らの足型が展示されています。
また、昨年度大会より、20回以上完走したメンバーに、新たにグランドブルーの称号があたえられることとなりました。
毎年サロマに集うウルトラランナーは、1回完走するだけで過酷な100kmレースを、毎年毎年どんな状況下でも走り抜き、最短でも10年の時間をかけてサロマンブルーメンバーになるのですから、ブルーゼッケンの重みたるや筆舌に尽くしがたいものがあります。
これが、サロマ湖100kmウルトラマラソン。
誰もが一度は訪れるウルトラの聖地。
北海道マラソンで初フルサブ3に挑戦した僕が、次に初ウルトラサブ9挑戦を決めた大会です。

どうして参加したのか

富士登山競争を完走したときすでに、サロマ湖100kmウルトラマラソンの参加は心に決めていました。
そもそも、富士登山競争に出る前にグランドスラムに挑戦することを決めていたわけだから、もっともっと前から心の片隅にはあったのだと思います。
ランニングを再開したばかりの頃、初めて長沼にロングジョグにでかけたときに、そうらんさんという走友の方に尋ねたことを記憶しています。

「100km走るって、どんな気持ちなんですか?」

フルマラソンを完走し、富士登山競走も完走した。
その頃よりも大きく成長した2年後の僕は、身をもってその答えを探しにサロマへ行って来たのでした。

Kuriさん、Ogamanさん、こうめさん、genさん、そうらんさん、yagiさん、おおひろさん。
ランニング再開初期の頃からお付き合いいただいているこの方たちには、ウルトラマラソンという共通項がありました。

僕の最初の大会、10kmに参加し、51’51で完走した2004年の札幌マラソン。
この下見のために、訪れた真駒内公園で「札幌~支笏湖ウルトラチャレンジ70km」が開催されていました。
そしてそれに参加されていたKuriさんのBlogにトラックバックしたことで、Kuriさんとこうめさんが僕のBlogを訪れてくれたのが、一番最初のみなさんとの接点でした。
しかもこのウルトラチャレンジは、アスリートクラブが主催する大会。
今思えば、すべてはこの日から運命付けられていたのかもしれません。

サロマに至るまで

「URCほっかいどう24時間走」という大会には、いつも応援に行っていました。
「くりやま100kmウルトラ遠足」にも、2年続けて馬追名水前で私設エイドをやっています。
ウルトラは常に身近にありましたが、ウルトラマラソンに参加することで、フルマラソンがおろそかになってしまうのではないだろうかという危惧が、僕を今まで引き止めていました。

しかし、今年サロマ参戦を決めた大きな理由は、フルマラソンの記録向上を狙ってのことなのです。
瀬古利彦さん著作の「マラソンの真髄」いわく、『走る座禅』という超持久走が、僕の中でウルトラマラソンとイコールとなって参加への障壁がなくなったのです。

そんなわけで、サロマに向けた特別な練習は何もしませんでした。
サロマそのものが、この後に控えている北海道マラソンの練習の一環だと位置づけました。
あえて言えば、通勤に積極的にウォーキングを取り入れたのは、サロマ対策だったかもしれません。
東京マラソンを終えてから、なかなか練習に対するモチベーションを維持することが難しい時期が続き、リズムが取れないままにサロマを迎えてしまったというのが本音です。
実はサロマに至るまで、2007年はひとつもレースに出ていません。
「URCほっかいどう24時間走」や「洞爺湖マラソン」は、それぞれエントリーしていたのにDNSとなりました。
2007年の初レースが、初サロマ、初ウルトラとなってしまったのです。
これはかなり精神的にも応えました。
実際、前日には恐怖すら感じていました。

サロマの旅程

宴会部長の二代目をはじめ、明るく声が大きい我らがリーダーのNo.71さん、No.71さんと絶妙なコンビのR子さん、いつもこの人の周りにはネタが尽きないOgamanさん、走りすぎのトン子さんとyagiさん、走りすぎというか飲みすぎのヨーイチさん、糸井重里に似ているマイクさん、NYCマラソンでもお会いしてたDoさん、どこが亀なのか謙遜しすぎ~のカメkayoさん、姉御っぽくてかっこいいイズミさん、実は一番感動してたんじゃ?一緒に飲みたかったマミックさんら、今回は気の置けない先輩方・仲間たちと一緒に、総勢13名での編隊でサロマに臨みました。
札幌から3台、東京組を旭川空港で拾ったOgaman号と合流し、4台で一路遠軽へ。
遠軽のホテルを拠点にして、スタートの湧別町、ゴールの常呂町の間で車をやり繰りしました。
スタート地点にテント泊の人や、車中泊の人も沢山いたようです。
でも、ゴールからバスで1時間かけて戻ってこなければなりませんし、マラソンバスは値段も結構かかるそうですから、仲間たちと何台かの車で来るか、サポート選任の人に車をまわしてもらうなど、準備万端で臨むのがよいでしょう。
いらぬストレスは100kmの長丁場、わずかだったとしても体に応えますからね。

その点、今回は本当に本当に助かりました。
配車やホテルの手配など一切を仕切ってくれたOgamanさん。
車を提供し、運転していただいた、ヨーイチさん、トン子さん、二代目さん。
いつも明るく周りを励ましながら、細やかな気配りをしてくれたNo.71さんとR子さん。
12人の仲間たちと旅程を供にできたということ、それだけで今回のサロマ遠征は大成功だったと言っても過言ではないでしょう。
だって、僕ら13人全員が完走したんですから!

レース前日

遠軽について宿に荷物を預けると、まずは翌朝の朝食を調達しました。
夕方になってからでは、近くのスーパーなどではお握りなどの食料が著しく不足します。
みんな考えることは同じだからですね。
No.71さんの勧めで、今回は早めに調達をすませました。
その後、昼飯を済ませ、ゴールの常呂町へ車を置きにでかけました。
遠軽からゴール地点まで60km弱くらいあるんでしょうか、車で行っても1時間くらいかかります。
明日は自分の足で走るんだと思うと、気が遠くなります…

ゴール地点では、サロマンブルーメンバーの足型を見たり、ゴールゲートの前で記念写真を撮ったりしました。
ビクトリーロードを見たときは、確かに明日そこを笑顔で走り抜ける自分の姿をイメージしました。
そして当然、ゴールゲートはまだ潜らず。
ゴールゲートは明日初めて潜るんだぞと、これは初フル北海道マラソンのときも担いだゲンですね。

この時点で大分時間が押していたので、前夜祭の参加は諦めました。
一同はゆっくり、明日のサロマ100kmのコースを逆走しながら、ゼッケン引き換えのためにスタート地点の湧別町へ向かいます。
この逆走がとてもよかったです。
サロマフィニッシャー達の適切なアドバイスの下、コースの概要を頭に叩き込みました。
その後、42.195km地点のモニュメントの前で記念写真。
レース中はやっぱり見落としたので、ここで見れてよかった。

スタート地点の湧別町では、すでに前夜祭もあらかた終わり、とりあえず顔だけ出すも完全に兵どもが夢の跡状態。

スタート前の応援FAXが会場に張り出されていたので、自分の分をもらってきました。
思いがけず沢山の方からFAXいただき、本当にありがとうございました。
失礼ながら、この場を借りてお礼申し上げます。
みなさんの応援があったからこそ、走りきれたと思う部分が大きいです。
大変力になりました。

前夜祭会場を後にして、ゼッケン引き換え会場に向かいます。
周辺はご覧の通りテントだらけ。
サロマ独特の雰囲気に包まれてます。
ゼッケン引き換え会場では、ゼッケンを受け取った後、メッセージカードを記入しました。
ゴールするときに運がよければ読み上げてもらえるらしいです。
すっかりサブ9でゴールする気でいた僕は、もしも大撃沈した場合には、きっとゴールも混んでて読み上げられることもあるまいと、思い切った内容のメッセージを書いておきました。
青島太平洋マラソンでサブ3を達成したときも、ゴール後のご褒美に、シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾート内バンヤンツリー・スパでのスポーツマッサージを予約してました。
自分を精神的に追い込んでおくことが、レース中の粘りにつながりますね。

ホテルに戻って、ホテル内のレストランで夕食兼壮行会。
FMあっぷるのN社長、アスリートの風のHITOMIさんらとも一緒でした。
前夜なので軽くリラックスする程度に。
部屋に戻って明日の準備をして、寝たのは22:15くらいだったかなぁ。
もう細かいこと覚えてないや(苦笑)

カテゴリー: ランニング パーマリンク

サロマ完走記(序章) への1件のコメント

  1. るうじ のコメント:

    いやぁ〜、ゴールへ先回りして、かずき君のウイニングランを応援する事ができてほんとよかったよかった!! (あの時間になんであそこにおんねん、て思ったでしょうけど、細かいことは気にしない気にしない。笑)
    あの時ぼかあ思ったね。かずきはほんとーにすごい。
    でも、あのサロマ当日のレースよりも、あそこに至るまでの君の努力が素晴らしい。僕も君のつめのあかを煎じて毎日サプリと一緒に服用し、9月のベルリンまでがんばろうと思います!! まだ完走期は途中ですが、おめでとー。
    追記) かずき君に安心してブログページに訪れていただけるよう、とのさまカエルの絵から、このたび脱力感溢れるカピバラさんに変えてみました。どんなんでしょ??

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