色彩の消えた生活

理解ある家人のおかげで、つわり中の私はすでにもう、ふたつき近く台所で料理
を作っていない。
折りよく、夫が平日の間は出張で家を空けているので、足繁く自分の実家に帰る
日々が続いている。
今週は夫の休日もあって一週間が短いこともあって自宅にいるのだけど、こうし
て自宅に篭っているとはっきりと自分の生活のオカシサがわかる。
生活に色彩がない。
主婦の生活は、とどのつまりは一日中ご飯を作ることなのだと今さながら思う。
昔の家屋で暮らし、大人数のお世話を担っていた先達の主婦とは大きく生活スタ
イルが違う。
なにより、掃除洗濯の厳しさは昔に比べたら格段に楽になっているはずだ。
洗濯板を使っての洗濯(しかも大人数)や、雑巾と羽根ばたきひとつで掃除して
いた時代のことを思うと、楽させてもらってるなぁと思う。
台所仕事にしても、昔はもっといまより時間をかけて大仕事だったように思うけ
れど、「三食を日々作りつづける」という基本だけは、今になっても変わらない。
掃除洗濯が苦手な人よりも、「毎日の炊事がダメ」な人のほうが、真に主婦業に
は向いていないだろうと思うほど、生活にべったり張り付いているように思う。
幸か不幸か、私は掃除洗濯(特に掃除)は才能がないと悲嘆できるほど不得手だ
けど、「食べること」だけは好きで、料理が得意なわけではないけれど、「食べるのが
好き」な故に、台所に立つのはちっとも苦痛ではない。
もちろん、飽きっぽい性格なので日々の献立をたてるのにいい加減うんざりして
時々、「あ~~~、もう、どーでもいい~~~」ってなることもしばしばなのだけど
(汗)
でも、色々な料理を作ってみたり、それを家人や友人が笑顔で食べてくれたりす
るのは、たぶん、自分が何か美味しいものをどこかで食べることより倍も嬉しい。
私の生活の中では一番色彩豊かな作業だとも言える。
それが、できないという現状。
食材を見ても、素敵な料理番組を見ても、ちっともそそられない。
ときたま、「ひらめき」みたいに食べたいものが現れてそれを食べても、充実感
など微塵もなく、そのあとぐったりしてしまったり。
一日中、ちびりちびりと食べているものだから、生活のリズムもあったものでは
ない。
前回のように、会社という「強制的なリズム」の場もなく、「他人の目があるか
ら我慢する」するという自分への戒めもないので、カラダとココロ、双方ともに延びきってしまっている気がする…。
ああ、早く終わらないかぁ…。
一見、吐いたり具合悪くて一日寝たきりとかそんなことのほうが辛いように見え
るけど、何が一番つらいかって、普段食欲をそそってくれる好物の食べ物たちが、まるで
「おがくず」か何かのようにしか見えないって事。
あ、でもね、今日はひとつ、いいことが。
CMに出てきた炊き立てのご飯を、一瞬、「食べたいなぁ」って思ったの。
これはたいした進歩よ!
いままで、私の中では「至宝」とも言える、夫のおにぎりでさえ、ひとつ以上の
どを通らなかった私が、そう思えるなんて!
(実際に行動に移すまでの力はないにせよ…)

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