追求と研究の差

いい女や美人についてモノを書く著名人を見ていていつも思うことは、「書いている本人はあまり美人じゃない」ってことだ。
なんでなんだろう?
あれだけいろいろ書いているのだから美人でしかるべきじゃないか?と思うのに。
もちろん、天から授かった器量というものがあるにしても、だ。
フト、思いあたったのが「コスメフリーク」との共通点。
コスメフリークにも、「はっとする美人」ってのは少ない。
自分勝手な推測なんだけど、研究熱心になりすぎてるんじゃないのかなって思う
のだ。
もちろん、「研究するのが好き」って人もいるだろうけど、ほとんどの人は「自分も美しくなりたい」って気持ちがあると思う。
(少なくとも私はそうだ)
そのために一番必要なのは「追求」することなんだけど、意外にハマっちゃうと「研究熱心」になってしまって自分の成長がストップしちゃ
うんじゃないだろうか。
あとは、あまり自分とかけ離れた美人ばかり見てしまって、「元が違いすぎるからあんな風には到底なれない」って思っちゃったり。
これは一度思い始めちゃうと、ヒガミの醜いシワができてしまいそうでコワイ。
キレイな化粧してたり、スマートで素敵な格好の人を見ても、「あーいう顔とスタイルなら何したっていいにきまってんじゃん」では、せっかく素敵なお手本があるのにもったいないことこの上ない。
私もこと、「化粧品」に関しては「研究熱心」というか、なんだかもう、「ヲタク」になりつつあるから注意しないと…と、いつも自分に言い聞かせてるんだけども、「ヲタク」の快感を知ってしまってる
から、なかなか「追求型」になることができない(汗)
造作や骨格なんかは持って生まれたものがあるけども、「性格」や「表情」なんてのは自分で磨いていくものだ。
美しい白い皮膚を持っていても、その上に浮かべる笑顔が歪んでたら意味がない。
もちろん、ただでさえ美しくない皮膚だったら余計にその上に浮かぶ笑顔は素敵
じゃないといけない。
…人間最後は何事も努力ってことでしょうか?(自分に問いかけ(^_^;;))

カテゴリー: コスメ パーマリンク

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