リオのカーニバル

「水曜どうでしょう」のサイトを日参している私ですが、本日はコンテンツの、「ウラ」にジンとくる言葉がありました。
それを軸に徒然書いてみたいと思います。
どうやら、「水曜どうでしょう」のプロデューサーとチームナックスという劇団が組んで公演をやるらしいのですが、それに先駆けて、藤村Dが「モノ作りの目的をハッキリ自覚した瞬間」と、お芝居の魅力について書いておりました。
お芝居の魅力とは、「リオのカーニバル」みたいなもんだと書かれておりました。


芝居は「演ずる」以上に、「客に見られる」「客を楽しませる」快感が強いんじゃないかと。
それは、「年に一度のリオのカーニバルのためなら残りの一年貧乏でも耐えられる」くらいの魅力を持っているのじゃないかと。
「芝居=生きる力」くらいの重さがあるのだろうと。
まぁ、ちぢめて解釈するとこのようなことを言っておられたわけです。
ジンときましたねぇ。
誰でも、自分だけの「リオのカーニバル」があるんじゃないかと思ったのね。
それのためならがむしゃらになれる、他のものかなぐり捨てられる何か。
「ない」と思ってる人は気づかないふりしてるだけじゃないかなと。
怖いものね、なりふりかまわずそこに突進してったら、人生不確か過ぎるものね。
ずっと前に、同窓のクラスメイトから電話をもらったことがあります。
在学中、演劇部にいたその人は熱心に札幌の劇団の劇をみたりする、とても演劇好きな人でした。
とはいえ、普通に短大に進学し、就職したと聞いたのでまぁ、「好きなことを部活にしてた」くらいだと思ってたのです。
ところが、電話での話は就職してからの演劇に対する中途半端なフラストレーションでした。
「社会人の演劇サークルに入ってもいまいちぱっとしない。サークルの人は学芸会の延長くらいの力しかないし、脚本を書いてくださる先生は自分が好きではない先生ばかり。札幌の演劇にも派閥があるからややこしい…」などなど。
詳しくはわからないけれど、そんなに真剣にやりたいならどこかの劇団へ入ってはどうかと勧めてみました。
「自分ももう社会人だし、演劇を生活の中心には持っていけない。生活というものがある」との返事。
じゃあ、「趣味で続けていく」のだから妥協もある程度必要じゃないのかと言ったのですが、延々と愚痴ばかり聞かされました。
その時の電話では結論は出ずじまい、最後のほうは私もだんだんアキアキしちゃったので、雰囲気もちょっと気まずい感じになってしまいました。
私はその人が、「安全で楽においしいところだけ食べようとしている」ように見えました。
努力や、何かを投げ打ってまでの覚悟がないんです。
その人は、すでに努力した人たちの姿だけを追っているように見えました。
擬似的にでもその世界を体験しているだけに、未練があるように見えるのです。
前時代的な発想かもしれないけれど、アートに代表される「感性を表現する」のを最終目標とした世界は、「そこそこ」の覚悟じゃ何も得られないと思うんです。
すっごい大仰な文章になっているけど、こういうふうにしか書けない(^_^;
なんで、私がこんな厳しいことを言うかと言うと、自分も同じだから。
したいことがあるのに、覚悟がないから。
自分の力に自信がない、生活だってしてかなきゃいけない、お金にだってなりはしない、理由を100こじつけても、全部逃げ口上に過ぎないの。
本音は、「失敗して今持っているものを失うのがコワイ」の。
別に、そんなに大げさなことを言うほどの実力もないくせに、ないやつに限ってこういうふうに大げさに考える。
だって、アタマのなかが凝り固まってるから。ブリンカーにシャドーロールつけた馬みたい。
出発点がコレだから、そのさきの努力もできるはずないの。
人によっては、それを意識してないから、努力をしないで実力を欲しがったりする。
一歩を踏み出さないから、努力がどんなことなのかすら分からなかったりする。
バレエで知り合いの前で舞台に立ったり、知り合いのライブにいって舞台に立つ友達を見たりしたことがあるから、舞台の魔力みたいなものは分かる。
でも、その舞台の裏にどれだけの汗と苦悩と練習とが積み重ねられているかを知識としてしか知らないのと実体験で知っているのとではだいぶ違ってくる。
リオのカーニバルするにはそれ相応の準備が必要で、いきなりチャンスがあれば「ポッ」とそこに現れるものじゃない。
クラスメイトの電話は、自分自身に突きつけれた命題みたいで、あれ以後、演劇の話題を見聞きするたびに苦く胸によみがえる。
今日読んだ藤村Dの文章も「言い得て妙だな」と思いながらも苦い味がしました。
あの人はいま、どうしてるだろう。

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リオのカーニバル への3件のフィードバック

  1. はるか のコメント:

    ひゃー、書いて読みなおすとなんてまぁ、恥ずかしい事書いているんだ、アタシ。
    すごいカッコわるー、はずかしー。
    が、「日記は推敲せず、思ったまま書く」というのが20年年来のポリシーですので、このまま晒しておきます(^_^;;

  2. ありさ のコメント:

    私の命題と同じ事かなあ。
    某マンガの「人生の一瞬のキラメキの為に生きる」
    みたいな(うろおぼえ)言葉に子供の頃感銘うけて
    今だにしょぼくれてますが「いつか一瞬のキラメキの為にー」
    とかおもいつつくらしとります。
    その一瞬っていつなんだろうな。
    実はもう終わっていたらいやだな(笑)とか思ってたり。
    なんかずれてた事いってたらすんません。

  3. はるか のコメント:

    >ありさ嬢
    うーん、似て非なるものじゃないかな…と言う気がします。
    「いつか一瞬のキラメキ」よりも、泥臭い気がする。

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