「池田小事件」の判決が出ましたね。
当然死刑だったわけですけども。
全く反省しない彼が「幼稚園だったらもっと殺せた」と言っていると聞き、体がガタガタ震えました。
思えば小学校と言っても彼が狙ったのは小さい子ばかりでした。
私にとって、凄惨なあの事件は、憎しみという感情さえ凍りついてしまっています。
子供を狙って殺す殺人というのは、幼女連続殺人(宮崎なんとかいう犯人の)から記憶に残っているんですが、当時まだ中学生か高校生くらいだった私は、遺族の方には申し訳ないけれど、「猟奇殺人系の映画」を観ているくらいのキモチしかありませんでした。
犯行文などの存在もその気分を高めていたのかもしれませんが。
子供を産んでからそれらの事件がものすごく生々しく映るようになりました。
事件が起こるたび、「自分の子でなくて良かった」という、後味の悪い安堵感と、これから先の我が子に同じ災難が降りかかったらどうしようという不安感に苛まれます。
全くの部外者でさえこんなに心落ち着かないのだから当事者の心中は私の想像を絶したところにあるのでしょう。
部外者の私は客観的に犯人を見ることができるはずですが、出来ません。
生理的本能で退けている感じ。
とにかく回避しよう、それだけ。
10代くらいのときは、「犯人の心が知りたくて」事件を観ていたのですが。
歳を取って、人間には見なくてもいい闇があることも学びました。
思考が凍えてしまうほどの闇は覗いても何もいいことはないと思うのです・・・。