マイケル・ムーア監督、カンヌ映画祭パルムドール受賞に敬意を表し、ボウリング・フォー・コロンバインを観ました。
途中でアメリカ人の歴史を揶揄したアニメが挿入されますが、それが秀逸。
恐怖に怯え、家にいくつも鍵をかけて自分を閉じ込め、銃をいくつも握り締めながら震える白人が、白い布を被って黒人を殺し、家族をこよなく愛し、毎週教会で神に祈り、そして戦争に歓喜の声をあげる。
これがアメリカ人のステレオタイプだとしてしまうのは余りにも無茶だとは思う。
でも、これは僕らがアメリカ人を知らない故の誤解だろうか?
日本人の男はみんなサムライかニンジャで、女はみんなゲイシャとかって言ってるのとは誤解の程度が違うと思うのだけれど。
あんまり彼がいい顔だったので、ちょっと挿入。劇中、何箇所かで使われています。
さてさて、しかし、人のことばかり避難してられません。
日本がどれだけアメリカの悪いコピーになっているのか、それもまざまざと浮き彫りにされます。
マイケル・ムーアが描く恐怖と消費の図式は、まんま日本でも当てはまりつつある。
若者はすぐキレるしね(笑)、手に銃を持っていないってだけで。
ピッキングが流行れば錠前を買い換え、暴漢が出没すれば催涙スプレーやら護身具が売れる。
友達と同じドラマを見て、流行の服を着てれば安心。
そうじゃなければ相手にしてもらえないかもしれない、それが怖い。
日本人も恐怖に煽られて、消費させられてるし、それに乗って安心してる。
程度の差こそあれ、それは僕だって例外じゃないしね。
IT業界だって、ウィルスの恐怖を煽って、アンチウィルスソフトを売って儲けてたり。
良く言われてるじゃん、アンチウィルスソフト作ってる会社が、実は裏でウィルスばら撒いてるんじゃないかとかって笑い話。
それを国を挙げてやってるところがあるっていうんだから、それはまずいよね…
そして、日本も片棒喜んで担いでるんだよね。
本題の「銃」についてからはちょっとそれるけど、観ていて感じた「病んだ」部分が日本とすごく通じてる気がしました。
噴出の仕方がちょっと違うだけで。
そして、日本という国は「残忍な国である」という世界的な見解があるのだという事実にショックを受けました。
史実をある程度勉強していながら、ショックだった。
いつのまにか、「日本が受けた仕打ち」ばかりが自分の中に肥大してたことにショックだったのです。
原爆という大きなものはあるけれど、東京大空襲みたいなものは他の国でもあったことで・・・。
南京での虐殺や従軍慰安婦、バターン死の行進などなど。
「残忍な国」と評されて当たり前ではないかと。
「そんな国よりも、アメリカ国内での銃での死者数が云々」というくだりに軽いめまいを感じた私でした・・・。
コロンバイン・ダイアリー 〜ハイスクール銃乱射事件の真実〜
コロンバイン・ダイアリー読みました。コンバイン高校で起こった銃乱射事件の犯人の学生二人と仲が良かったヤツが書いた本です。
事件当日、「お前のことは嫌いじゃないから、今のうちに家に帰っとけ」(本を見ずに書いてるので一字一句正確ではないです悪しからず)…