別大完走記4

当日朝、8時半に朝食会場で待ち合わせていました。
起床後、即お通じあり。
安心です。
朝食会場に向かうと、すでにあらかた食い終わりかけている3人。
あれれ、早いよとあわてて、僕もお握り4つ、味噌汁、フルーツに珈琲をたいらげました。
その後部屋に戻り2回目のお通じ。
万全です。
チェックアウトして、大きな荷物はホテルに預け、競技場までは1km程度、歩いていきました。

国際大会という意味では、仙台国際ハーフ、札幌国際ハーフを2回経験していますので、会場の雰囲気とかにのまれるってことはありませんでした。
競技場2Fの左手、室内走路奥に陣取りました。
ここは大会スタッフが当日のミーティングなどに使っているのですが、われわれが到着する頃にはそれぞれの配置につくので、空いているんだそうです。
1Fに更衣室などが用意されていますが、かなりの数の人が2Fの室内練習場にもいました。
去年も参加しているkatsuさんが状況をよく知ってらしたので、助かりました。

トイレは競技場内の各フロアにもあり、そもそも500人弱くらいしかいませんから、混んでいるということはありません。
参加者が少ないからでしょうが、大会本部で貴重品も預かってくれるとのこと、みんなの貴重品をまとめて預けにいきました。
携帯電話とかも預けちゃいましたが、預けようとしたらブルブルしだすし(笑)
ちょうど応援チームが到着したようです。

最終点呼とウェアのロゴ確認。
今回の測定にはトルソータグが使われました。
前後のゼッケンにそれぞれ、計2個のトルソータグがついています。
僕はトルソータグ嫌いです…だって、重いんだもん。
レース中、ゼッケンが剥がれている人が多かったのも、トルソータグのせいですね。
点呼はトルソータグが点呼用マットの上を通過することで行います。

そして、ウェアのロゴ確認。
ここで変なロゴとか、登録名と異なるロゴがついてたらチェックされるようですが、うわさに聞くような厳しい対応は目にしませんでした。
多くの人は、ゼッケンのついたランシャツを着込むのではなく、持って見せてましたね。
僕は朝から着込んでいたので、ジャージの腹をめくって見せました。
アップで汗に濡れるのを嫌がるんでしょうか。
僕は汗が出るほどアップしませんけど…

ぼちぼちアップをしようかと、みんな競技場をぐるぐる回り始めたので、僕も5周くらいアップしました。
普段のフルマラソンではアップなどできないほど人がいますので、無理にはやりません。
アップで体を温めた後、ストレッチを十分に行い、2本ほど軽く流して刺激を入れました。
いつもは最初の数キロがアップ代わりですが、今日は最初からきちんとしたペースで入れそうです。
アップのときすでに、ここに戻ってゴール前の最後の周回をしている自分の姿を、明確にイメージすることができました。
今日は調子がいいし、絶対にやれると手ごたえを感じました。


アップも終わり、整列の時間が近づいてきます。
スタート10分前には整列とのことでした。
競技場に出てきたところで、観客席の応援チームに向かってポーズ。
右から、食パン王子ことオザワさん、前回の忘れ物を取りに来たkatsuさん、そして僕。
心配された雨は大丈夫、曇り空から時折陽が差し、スタート時の気温7.5℃、風は微風というベストコンディションに恵まれました。
ウェアは見ての通り、アームウォーマーもしています。
補給食の類は一切持ちませんでした。
ひとつくらい持ってもよかったのかもしれませんが、最近の数レースでは必要なくなってきていたので、今回も使いません。
ゼッケンの裏にはセロファンを貼って、風を通さないようにしてあります。(五十嵐さんThanks)
お腹が冷えると困るので(前レースの北海道では、そのせいでピットインした)、腹巻代わりにPhitenベルトを巻いています。
それも太いヤツを。

整列開始です。
見ての通り、ゼッケン番号順に横に20人完璧に整列場所が決まっています。
自分の場所に並び、周りの人に「よろしくおねがいします!」と元気よく挨拶しておきます。
こういう小さなコミュニケーションのおかげで、もしかしたらスタート時に無理に割り込まれたり、足がかかったりする事故が防げるかもしれませんから、大切なことです。
並んでいると、陸連の担当者がチェックに来ます。
ここまで厳密なのは初めてです…
後でパッキーさんに指摘されて気づいたのですが、僕の両サイドの方は僕とまったく同じランシャツ・ランパンでした。
近すぎて自分では気づかなかったのですが、周りから見ると面白かったようです(笑)

「安かったんだよね、これ・・・」

3人ともそういう理由だったのが、かなり面白く、スタート前の緊張が和みました。
3人同じウェアだったおかげで、全国放送のスタート直後の映像で、自分たちだけは自分たちを識別できました(笑)

レース開始!
いよいよレース開始です。
号砲とともにスタート、タイムロスは数秒でした。
今回の目標はやはり、サブ40(2時間40分切り)を達成することでした。
正直なところ、完走は間違いない、自己ベストも間違いないと確信してました。
ハーフの持ちタイムと比較して、納得のいくフルの結果を出すこと、これが目標でした。
今までは恥ずかしくてフルの持ちタイムをはっきり言うことできませんでしたから。
一説によれば、ハーフの2.11倍がフルのタイムといいます。
それまでのハーフ1:15’54という記録に対し、フル2:49’10は2.23倍。
2.11倍なら、2:40’09前後のタイムが出せるはずでした。
今回はハーフをさらに縮めていますので、計算上は2:37前後のタイムがでてもおかしくありません。

そういう前提で想定したレースペースは、5kmを18’45~19’00のペース。
19’00で行くと、2:40’20でゴールできる計算ですから、それを切っていくこと。
そして、後半上げるかイーブンで行くことが課題でした。
とはいえ、すべては走り出してみないとわかりません。
その日の体感に合わせて、レース中に組み立てを考えるつもりで、とりあえず飛び出しました。

05km 0:19’05 (19’05)
最初の5kmはまずまずのペースで入りました。
スタートの多少の混雑を差し引けば、ほぼ設定どおり。
体調もよく、このペースが辛いとは感じてません。
あとで知ったことですが、この大会はさすがに若手の登竜門と言われているだけあり、ペースメーカーも3種類の異なる設定があったそうです。
ペースメーカーがいると、当然その周囲に集団が形成されます。
その集団の中で駆け引きがあり、ペースメーカーがいなくなった後に勝負を仕掛けていくことになるわけですが、こういう経験を勉強させてくれる大会なのです。
僕らはさすがに後方なので、そういうものとは関係ありませんが、それでもやはり2:40前後を狙う集団が徐々に形成されていきました。
パッキーさんが常に僕の周りにいることはこの時から意識してましたし、途中でユウトパパを抜いたのも記憶にあります。
まずはこのペースで30kmまで我慢です。

10km 0:38’02 (18’57)
5km地点となる第一折り返しを過ぎ、再び大分陸上競技場へ戻っていきます。
舞鶴橋あたりで10km地点、このすぐ近くには昨夜宿泊したホテルがあります。
ここから先、大分市内を通過して、別府に向かっていきます。
風はやや向かい風ですが、気になるほどではありませんでした。
5kmを19分前後の集団が形成されています。
その中に、パッキーさんがいます。
背が高くて姿勢がいいので、ものすごく目立ちます。
給水はほとんどが水。
最後のテーブルだけがスポーツ飲料でした。
すべてペットボトルでしたが、水は避けて、スポーツ飲料だけをとりました。
といっても、準備してある量が少ないし、集団で走っているので混雑します。
給水所が近づくたびに、僕は外に逃げて混雑を避けました。
捨てる前に回りに一声かけてくれるので、ペットボトルはみんなで回し飲みしました。
集団で走っていると、自然にこういう連帯感が生まれるんですね。
周りは敵じゃなく、同じゴールを目指している友なわけです。
集団で走るという経験が余り無かったので、とても勉強になりました。

15km 0:56’56 (18’54)
ラップは落ち着いてます。
大分市内の応援は素晴らしく、さすがに応援慣れしているというか、名前を呼んでくれる人もちらほらいました。
名前を呼ばれると本当に力が湧いてきますね。
ボチボチ大分市内を抜けて、別大国道と呼ばれる海沿いの道に入っていきます。
別府湾からは向かい風が吹いてきてます。
時折強い風の際には、集団の中ほどに移動して、風を避けます。
でも腕があたったり、足がひっかかったり危ないので、僕はなるたけ外にいるように心がけました。
ここにくるまで、時折応援チームの応援も耳にしましたが、僕はパッキーさんの影に隠れて密かに走っていたので(笑)、気づかれないこともあったように思います。
ものすごくレースに集中できていて、周りのことがあまり目に入らず、完全に自分の世界の中で走っていました。

20km 1:15’59 (19’03)
別大国道の名物であるバンクは、想像以上のものでした。
サーキットを走っているのかと思わせるほどのバンクは、かなり頑張らないとどんどん下に落ちていってしまいます。
できるだけ側溝の近くを走れば、バンクを意識しないですみました。
このあたり、細かいアップダウンも多く、集団のスピードがどんどん上がり始めたのがわかりました。
15~20kmくらいというのは、一番気持ちよくてイっちゃいたいところです。
でもここは我慢と思い、あえて集団から離れました。
落ちたのではなく、集団が速くなったというのはラップからもわかります。
いずれあの集団は落ちてくる、そう確信してました。

25km 1:35’13 (19’14)
やはり集団は落ちてきました。
集団に再吸収され、中間点を1:20’18で過ぎます。
今度は集団の先頭を積極的に引っ張りました。
この集団は落ちてきているのですから、このまま一緒に走っていてはいけません。
どうしよう、いつ飛び出そう。
そんなことを考えているうちに、やはり少しラップが引きずられ始めました。
中間点を過ぎてもまだまだ体力は充実していました。
大丈夫、いける筈だ。

30km 1:53’22 (18’09)
25km過ぎて折り返しのコーンをポンとたたき、自然とペースが上がり始めました。
どうやら今年は折り返してから追い風のようです。
後で聞きましたが、例年は逆の風向きだとか。
追い風に乗ってスパートです。
集団がバラけていきます。
僕についてくる人も数人いましたが、どんどん落ちていき、気がつけば大学生が併走しているだけでした。
どうやら19分の集団は、これをきっかけにバラけていったようです。
途中、ヨーイチさんだったかな。
折り返す前と後で僕の位置取りが違ったので、「あ、一樹さんが来た」というような驚きにも似た応援の声を聞いた気がします。
このあたりからは、応援にはガッツポーズで応えてました。
五十嵐さんを捉えたのもこのあたりだったかと思います。
前半の突っ込みがたたったのか、フラフラの彼を追い抜きざま気合がけしましたが、もう目がかなり虚ろでヤバイ感じでした。
あぁ、俺の初フルもあんなだったんだろうな。

35km 2:12’19 (18’57)
再び別大国道。
小刻みなうねりにペースは落ち、以前の水準に戻りました。
大分きつくなってきましたが、まだまだ走れる。
ずっと併走していた成蹊大学の学生と時折おしゃべりをしたりしてましたが、このあたりから彼が少し前を行くように。
僕は離されることなく、見える範囲でずっと目で追っていました。
全体的には抜いていく数のほうが多いのですが、このあたりから僕を抜いていく元気を残した人も数名見受けられるようになりました。
ちょっとスパート早すぎたかなぁ・・・、ちょっときつくなってきました。

40km 2:31’42 (19’23)
そろそろデロデロです(笑)
大分市内に戻ってきましたが、明らかにきつくなってきました。
でもペースは大幅には落ちてません、どこまで粘れるか、気持ちを切らさないように前を向いて走り続けました。
このあたりから、サブ40のことは考えてません。
残り時間を気にするようになったら、きっと計算してしまって、全力を出せませんから。
自分の体感を信じて、納得のいく走りをすることだけに集中しました。
少しずつ、僕を抜いていく人も目立つようになり、足音が後ろから近づくたびにその影におびえるようになりました。
振り返ることはできません。
振り返るのは、負けを認めるようなもの。
でも、チラッと視界に入るレースシューズが、パッキーさんのものじゃないかどうか、それだけを確認してました。

Goal 2:40’35 ( 8’53)
舞鶴橋の41km地点前後で、ユウトパパが僕をかわしていきました。
まさか、と思いつつ、でも悔しさはありませんでした。
「やっと来たか、遅いぞ」くらいの気持ちで、正直嬉しかったですね。
今までずっと僕に先着を許してくれなかった彼が、こんなに簡単に僕に勝たせてくれちゃあ面白くないんですよ。
「40分切り行けるかも!気持ち切らさないで」
というような喝を入れてくれたように思います。
もう僕には力が残ってませんでしたが、力を出し尽くそう、最後切れることなく競技場に向かっていきました。
競技場のゲートを潜り、タイムは2時間39分台を指していました。
400mトラック1周をこの状態で60秒は無理です。
サブ40ならないことは一目でわかりましたが、大幅な自己記録更新であることは間違いなく、納得のいく走りができました。

05km 0:19'05 (19'05)
10km 0:38'02 (18'57)
15km 0:56'56 (18'54)
20km 1:15'59 (19'03)
half 1:20'18
25km 1:35'13 (19'14)
30km 1:53'22 (18'09)
35km 2:12'19 (18'57)
40km 2:31'42 (19'23)
Goal 2:40'35 ( 8'53)

前半1:20’18、後半1:20’17とほぼイーブンペース。
最後2.195kmでのスタミナ切れに課題は残しましたが、納得のレース展開でした。
ゴール後、またもや先着されてしまったユウトパパと手を握り合い、健闘を称えあいました。
やっと彼に肩を並べるところまで来たと、胸を張って立つことができました。

続々と仲間たちもゴールしてきました。
同じ42.195kmですが、それぞれに、それぞれのドラマがありました。
速い人、遅い人。
同じランナーの世界でも、このように区別されることがよくあります。
でもみんな同じ42.195km、同じスタートラインを共有しているじゃないですか。
僕はそれだけで素晴らしいことだと信じていました。
速いとか、遅いとか。
ゴールはみんなの心の中にあるんだから、タイムなんて関係ないと。
事実、僕は誰に負けても悔しくない。
だけど、自分にだけは負けたくないと思って頑張ってきました。

でも今回のレースで初めて感じた気持ちがありました。
それは、ゴールをも共有できたということです。
2時間50分以内、キロ4分という厳しい関門を潜り抜け、ゴールを目指すランナーたち。
サブ40というゴールに向かって2時間40分を一緒に戦い抜いた仲間たち。
彼らと一緒にすごした密度の濃い、2時間40分、42.195kmという時間と距離。
スタートや距離だけでなく、ゴールも共有した僕らは、いっせいに競技場になだれ込み、そして互いの健闘をいつまでも称えあったのでした。

今回たまたま東京に長期出張があったおかげで、多くの仲間たちの励ましを受け、多くのライバルたちと切磋琢磨し、スタートやゴールばかりでなく、ここにいたる道のりまでも共有できました。
パッキーさん、オザワさん、katsuさん、五十嵐さん。
ユウトパパ、篠崎さん、桂さん、福岡のコウくん。
そして応援にきてくれた、かきたまうどんさん、ヨーイチさん、hirokohoneyさん、ももたろーさん、ななぶうさん。
駅伝チーム絆のメンバーたち、小出道場卒業生や裏モニター生の仲間たち。
北海道の仲間たち、jognoteの仲間たち。
そして、会社、家族。

僕はシャイなほうなので、みんなを盛り上げたり、言葉で感謝を伝えることがとても下手くそです。
当夜、みんなで完走を称えあったパーティーでは何度も泣いてしまいました。
一緒に2ヶ月間、同じゴールに向かって闘ってきた仲間たちとの日々もこれで終わりなのかと思うと、寂しくて寂しくて。
皇居、神宮外苑、代々木公園、国立競技場。
一人で走りに行っても、必ず誰か仲間の姿がそこにあった。
みんなで励ましあい、笑顔にあふれていたあの日々。
夢のような2ヶ月間でした。
そして、夢のような別大のゴールを迎えられました。

いつまでもくよくよ、めそめそしてる場合じゃありません。
時は流れ、状況は常に変わっていくもの。
仲間たちと物理的に離れていても、僕らはネットでつながっている。
僕らが走る大地も空気も時間も、つながっている。

すべて行き着く先は、福岡。
あの平和台陸上競技場。
目指しているゴールも、次のスタートも。

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別大完走記4 への9件のフィードバック

  1. gen のコメント:

    楽しく読ませてもらいました。
    精悍な顔つきになりましたね~。
    人それぞれ、およびもしませんが、私も私なりに
    今年も走ります。

  2. 河口湖の住人 のコメント:

    いいレースでした。走っている気持ちが伝わってきました。かずきさんのその想いがみんなの力に変わります。後につづきます。

  3. こうめ のコメント:

    全部読ませていただきました。
    共感する部分、多々ありました。
    ランナーはライバルではなくゴールを共有した仲間だという点、私もそう感じました。
    うらやましいなと思ったのは、ゴールの完走パーティで何度も泣いたということ。いまだに私はそこまで全力を出し切っていないのか、ゴール後泣いてません。今年こそは!と思っています。
    別大の完走は、福岡に向けてのスタートラインですね。
    楽しみにしています。

  4. じれっタイガー のコメント:

    最高の完走記ありがとうございました!自分成りの走りをこれからも追及していけたらいいな~と思わせて頂きました。僕もゴール後泣けるぐらいの走りがしたいです!

  5. こうくん のコメント:

    福岡のこうくんです☆別大ではお世話になりました。
    いいリポートですね↑
    別大などのエリートマラソンは、一生懸命練習していないと完走どころか出場さえままならないのですから、そこで走っている人全員が、努力をしているんですよね~。
     自分以外の他のランナーがどれだけ努力をしてこのレースを走っているのかがわかるから、走りながらお互いに敬意を払い、給水を回し飲みなんてことが自然に起こるのだと思います。そしてお互いの努力がわかるからこそ、フィニッシュ後の喜びを互いに分かち合えるのだと思います。市民レースのほのぼのとした、走ること自体を楽しむ雰囲気も好きですが、苦しい練習を乗り越えた人達だけが出場を許されるエリートレースの感動や喜びは何物にも代え難いです。練習、そしてレースも苦しいですが、1回でもその苦しみの向こう側を経験してしまうともうやめられませんね。
    そして苦しみの向こう側にあるものを知っているからこそ苦しい練習にも耐えられますね。。。

  6. かきたまうどん のコメント:

    濃い~~熱い~~完走記、懐かしく読ませていただきました。
    別大は最高に楽しい遠征でした。
    たくさんの刺激とパワーと感動をいただきました。
    ありがとうm(__)m
    シャイなかずきくん、レースでの淡々とした走りとは真逆で・・
    人間ぽくって・・(*^_^*)
    独りの生活もすべて別大のために、でしたね。
    あの環境に身をおける運・・ランの神様からのプレゼントでしょう。
    次は、福岡ですね。
    サプライズもあります。近いうちに、報告してもらいますね(^_-)-☆
    どこにいてもどんなときも、私たちは仲間です。
    同じ意識を持った仲間です。
    いつまでも誇れる仲間でいたいです。
    頑張りましょうね(^^)/

  7. マサ のコメント:

    別大お疲れ様でした。
    かずきさんの頑張りからは、私もいつもパワーをもらっていますよ!
    一歩ずつ、次のゴールを目指してくださいね♪
    応援しています。

  8. かずき のコメント:

    >genさん
    顔つきまで変わってくるんですね。
    この3年で本当にいろいろなことが変わってしまいました。
    >河口湖の住人さん
    うかうかしていると追い抜いていってくれる人が沢山いるんで、ほんと参ります。
    これからもがんばりましょうね。
    >こうめさん
    今回は泣きましたねぇ。
    2ヶ月ほんと頑張りました。
    次の目標は、10ヶ月ほんとがんばっての福岡ですね。
    やりゃあいいってもんじゃないけど、やらなきゃ話にならないですもんね。
    >じれさん
    なんつうか、スタート前にすでに涙ぐむくらい練習してれば、ゴール後は号泣間違いないですよ(^^;
    >こうくん
    きっと会えると思ってましたんで、点呼の時に見つけてくれてうれしかったです。
    僕ももっともっと頑張って、こうくんに追いつきますんで、一緒に頑張っていきましょう。
    >かきたまうどんさん
    あんな思いを一度でもできただけで幸せです。
    でも欲張りなんで、1年に1回くらいはこれからも続けていきたいですね(笑)
    >マサさん
    そんな、いつも大会前とかメールくださったり、ホッとして心が和みます。
    今度札幌にいらしたときは、沖縄料理とかで一杯やりたいですね。

  9. パッキー のコメント:

    遅ればせながら、かずき君の別大完走記読ませていただきました。
    何度も俺の名前が挙がってて、すごく嬉しかったよ。また、俺の一言が別大に出るきっかけになったことも嬉しかった。
    俺はかずき君がいなかったらここまでの記録は出せてなかったと思うんだ。本当にありがとう!!!
    これからもよきライバルでいて下さい。
    また同じ想いを福岡でしよう!!!

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