別大完走記2

思えば、初フルだった北海道マラソンも、小出道場ランニングモニターが始まった時点で、ハーフのレースの記録すらない状態、綱渡りの参加承認でした。
札幌国際ハーフ参加資格、1時間18分をめぐる闘いも、劇的なものでした。
そこで進化を止めることなく臨んだ別府大分毎日マラソン。
今回は海外マラソンのNETタイムでの参加承認という、ある意味「裏技」。
常に僕の参加承認は、素直にたどり着けないドラマがあるようです。

なんとか参加承認を手にし、肉離れの治療に専念する毎日。
キロ4分の関門が待ち構える別府大分毎日マラソンを完走するためには、今まで以上のレベルアップが必須です。
完走=自己ベストという大会ですから、今の走力のままでは終末の収容車を背負って走る展開になってしまいます。
しかし、札幌の冬はこれから。
雪道で練習がままならなくなる中、どうやってレベルアップすればいいのか。
そんな折、1月いっぱいまで東京への長期出張が舞い込んできたのでした。

準備期間

11月
治療とリハビリに専念した11月。
11月3日に行った30kmタイムトライアルが、まともに走れた最後の練習であり、それがトドメとなって怪我が悪化したわけです。
ラン112.5km、ウォーキング123.5km、合計距離236kmでした。

12月
12月に入り、仕事の関係で1月末日まで新宿への長期出張が決まりました。
職場に近いという理由でマンスリーマンションを代々木に借りましたが、近くに代々木公園、神宮外苑があり、練習にももってこいの環境でした。
患部に無理をかけないように、でもきちんと距離を踏むために、1回で走る距離を伸ばすのではなく、2回に分けるために2部練習を始めました。
朝は代々木公園を7~8km走り、夜は神宮外苑や皇居を15~20km走りました。
職場への通勤も往復徒歩にし、それで6kmくらい歩きました。
結果として、毎日30km程度をダメージなく積み重ねていくことができました。
12月は少なかったけど時々、国立競技場の激走トレーニングにも参加しました。
皇居や神宮外苑、国立競技場を走っていると、小出道場卒業生や、裏モニターの方々、僕がモニター生だったころから応援してくれている方々など、懐かしい顔に会うことも多く、まるで自分が東京に住んでいるかのような、リラックスした気持ちで練習を積み上げることができました。
12月とはいえ、東京は暖かく、肉離れ跡の患部にも優しい気候でした。
ラン435.5km、ウォーキング85.3km、合計距離520.8kmでした。

1月
今年は珍しく年末年始に深夜作業があり、12/31~1/3までは横浜の某所におりました。
多摩川を走ったりしましたが、1/2と3日には仕事の合間に箱根駅伝を観戦することができました。

1/7から再び新宿で仕事のため、1/6に前日入り。
銀座のアシックスストアに寄り、別大の勝負シューズを物色。
ソーティ系を何足か履いてみたのですが、あまり出るラインナップじゃないため、どうしても在庫薄の状況で、サイズとか色とか贅沢いえる状況じゃなく、あるもので納得しなければならないような状態でした。
正直、今の自分にはまだ早いのではないかと思ってたのですが、そんな理由からソーティJAPANのtenkaを購入。
限定色の黒+赤しか26.0cmがありませんでした。

そのままそのシューズを持って、皇居へ行き、別大1ヶ月前の30kmタイムトライアルをやりました。
この日は暖かく、ランシャツ・ランパンで行けたのを思い出します。
1:54’11 (18’18, 18’51, 18’57, 19’17, 19’39, 19’07)
30km走っても余裕含みで、あと10kmは行けるという感触。
右足のふくらはぎも、多少腫れはしましたが、痛くはならなかった。
別大に向けて好感触を得ることができました。

1月に入って、東京も少し寒くなってきましたが、毎朝代々木公園で朝ラン、夜は神宮外苑や皇居まで足を伸ばしたり、ポイント練習では国立競技場の激走トレーニングにも積極的に参加していきました。
激走では必ずSクラスで先頭集団を引っ張る積極性を培おうと思っていましたが、いつもパッキーさんが僕の前に立ちはだかり、抜かせてくれませんでした。

六郷駅伝
翌週の月曜祝日14日には、六郷駅伝がありました。
アンカーで走る予定だったヨーイチさんが骨折とのこと、僕に代走の依頼があったのです。
理由が理由だけに僕も二度返事で受け、なんと区間賞のおまけつき激走でした。
五十嵐さん、コウ太さん、シゲオさん、そして僕。
五十嵐さんが元箱根ランナーの快走でぶっちぎり区間賞、2位以下を大きく引き離して帰ってきました。
コウ太さんはプレッシャーの中粘りきり、誰もが認める快走、大きく順位を崩すことなくシゲオさんへ。
シゲオさんも粘りの走りで、やや順位を落とすも食らいつき、前が見える範囲で僕に襷を託してくれました。
表彰台がアンカーに託され、僕も必死の走りで前を追い、二人捉えて一気に表彰台へ。
2位まではもう少し届かなかったけれど、区間賞の走りでチームの結果にも貢献できたし、何より5.3kmをとても楽にあのスピードで走りきれたことは、自分にとって大きな収穫でした。

駅伝チーム「絆」のメンバーとの交流も深まり、その後の宴会が盛り上がったことは言うまでもありません。
彼らは北海道マラソンにも参加してくれています。
去年の道マラのあとは、楽走さんたちと合同で大宴会をやりました。

千葉マリンマラソン
20日、好調を維持したまま迎えた千葉マリンマラソン。
正直なところ、絶対に自己ベスト更新は確信していました。
しかし、このレースの位置づけは、あくまでも別大に向けた調整。
全力で走って、ピークを引き寄せてしまってもまずいのです。
20kmタイムトライアルの気持ちで、楽に走る。
それでいて自己ベスト更新という欲張りなことを考えていました。
1:14’49 (17’31, 17’37, 17’49, 18’00, 3’54)
自己ベストを1分以上更新し、しかもここで福岡Bの参加資格をGET!!
もう、どの距離を走っても絶対に自己新がでるってくらいの好調さを感じました。
同じレースでは、パッキーさんの絶妙なペースメイクの下、hirokohoneyさんが名古屋国際女子マラソン参加記録である1時間30分CUT!!
オザワさんも苦しみながらも自己ベスト。
五十嵐さんは神懸り的な走りで、1時間8分台。
勝田に向けて思うように練習が積めず、苦しんでいたななぶうさんも、吹っ切れたのか笑顔が戻ってきたレースでした。
レース後の宴会では、やはり別大に参加されるきうっちさんともお知り合いになれました。

日本エアロビクスセンター
最後の週末。
まずは日本エアロビクスセンターでのプチ合宿。
パッキーさんに誘われ、同じく別大に参加するkatsuさん、千葉マリンで名古屋国際女子の切符を手にしたhirokohoneyさん、東京国際女子を目指すかきたまうどんさんの5人で、千葉の日本エアロビクスセンターに行ってきました。
国内外のトップアスリートが合宿に用いる場とあって、そうそうたる面々のサイン色紙の山に圧倒されました。
小出監督を挟んで、有森さんとQちゃんのサインが1枚に収まった色紙もありました。
両脇をメダリストに挟まれた、貴重な一枚ですよね。

午前中はウッドチップコースや、施設内あちこちを思い思いに走り回り、ランチバイキングの後、午後はレクリエーションで卓球を。
これが思いのほか白熱して、楽しい楽しい。
風呂に入ったあとも、茂原駅近くで焼き鳥屋に入り、盛り上がりました。

新宿シティハーフ
翌日は新宿シティハーフ。
国立競技場がスタート、ゴールなので、応援に行ってきました。
途中、モトチカさん親子のファンペアレースでカメラマンをかってでたり。
なんとNo.71さんとも再会したり、きょんこさん夫妻、まっちさんにもお会いしました。

最後の週末は、リラックスムードで過ぎ去っていったのでした。

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別大完走記2 への2件のフィードバック

  1. aono のコメント:

    かずきさん、お久しぶりです。別大、自己ベスト本当にすごいですね!完走記の続きが待ち遠しいですが1・2を読ませてもらい故障から復帰後の準備の様子などが伝わってきました。
    自分もちょっとサボっていましたがまた頑張ろうと改めて思いました!^^

  2. かずき のコメント:

    >aonoさん
    行きましょうよ、福岡へ!!

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