闘う白鳥

昨夜、テレビでマイヤ・プリセツカヤのドキュメンタリーをやっていた。
彼女はバレリーナで75歳を過ぎた今日もなお、現役のダンサーだ。
私は彼女の「瀕死の白鳥」が大好き。
初めて観たのはまだバレエを習っていた小学生か中学生くらいの時だった。
あまりの衝撃に口もきけなくなったのを憶えている。
舞台の上で舞っているのはプリセツカヤではなく、今、まさに死にゆこうとしている
一羽の白鳥だった。
「奇跡」とか、「天才」言うコトバを安っぽく使いたくはない。
彼女の天賦の才は持って生まれたものかも知れないが、それをカタチにしたのは彼女
の不屈の精神とたゆまぬ努力だからだ。
スターリン圧制下のソビエトはプリセツカヤを自由に踊らせようとはしなかった。
ボリショイはクラシックの演目で有名なところではあるが、当時は「クラシックしか」
踊ることは出来なかったのである。
「自由」というコトバはそく西側のイメージに結びつく時代だったのだろう。
プリセツカヤの父親は反政府派として射殺処刑され、母親は投獄された。
そんな己の運命を嘆くことも愚痴ることもなく、彼女は踊り続けたのだ。
当時、ソビエトが抱えていたダンサーが何人か亡命している。
ルドルフ・ヌレエフやバリシニコフである。
命を危険にさらしても彼らは自由を求めて国を捨てたのだ。
その中でプリセツカヤはあえて亡命をせず、苦しい中でも祖国で踊り続けることを選
んだ。
まさに、不屈の精神の持ち主なのである。
もちろん、ヌレエフやバリシニコフの立場も分かる。
クラシックの演目で男性舞踊手が主役のものはほとんどないからだ。
どちらかと言えば女性のサポート的な役回りが多くなってしまう。
プリセツカヤは当時の苦しい日々のなかでも決して踊る喜びを忘れなかった。
どんな過酷な中でも稽古を怠らず、精進の日々を積み重ねていったのだ。
だからこそ、40代という時期にベジャールやジョルジュ・ドンなどと出会って素晴ら
しい舞踊を生み出したのだと思う。
いきなり話が飛ぶけれど、彼女の話を聞いていて、「はじめの一歩」のセリフを思い
出した。
「努力すれば成功するとは限らない、しかし、成功した者は皆すべからく努力してい
る」
プリセツカヤの話していたこともまさにそれだった。
「誰でも才能は持って生まれてくる。それを活かすのは本人の努力である」
マイヤ・プリセツカヤの言葉だ。
とかく、楽な方に流れがちでハンパにしか努力できない私には「耳が痛い」どころか、思いっきり脳天にげんこつもらったような気分だった。

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