テロとレジスタンスの境は誰がどうつけるのでしょうか。
私が無学なだけかもしれないんですが、テロ犯については「ジュネーブ条約適用外」ってのは、アメリカだけなの?
それとも各国共通事項なんでしょーか。
とすると、本人がテロのつもりじゃなくても「テロと判断」されたらゴーモン対象になるっていうことなんですか。
コワイ、怖いよ。
テロを賞賛するつもりはもちろんないけれども、今回のアメリカ兵のイラクでの虐待問題はアメリカの言ってる矛盾を浮き彫りにしてる気がする。
小難しいことはアタマが悪いのでさっぱりわからないけど、テレビでブッシュ大統領の顔を見るたび、「ああ、イマジネーションの欠如した顔とはこういう顔を言うのだな」と思ったり。
彼には「イマジン」に込められたメッセージは決して理解できないだろうなぁ。
最近、宗教に縛られない日本の土壌に感謝してます。
繊細な問題なので他人と論ずるつもりは毛頭なく、こうやって書き逃げできる場所で書くだけですが。
宗教が人を救えたはるか昔と違い、今は「縛り」の部分ばかり目立って見えてしまってね。
もちろん、誰しも「神に祈る瞬間」があるとは思うけれど、そのときのために生活や思想まで「宗教教義」で縛られるのはなぁ・・・と。
あまりに頑なな信仰心は時に思想の柔軟性を奪い、想像力の翼をもぎとってしまう気がする。
宗教は歴史が古くて宗教そのものが民族性などに色濃い影響を落としている例も多々あり、乱暴なことがいえないのは重々承知してますが。
そして、日本のような宗教の土着がない(現在において)国が世界的に観て珍しいことも分かっておりますが。
諸外国の方が自らのアイデンティティが確固としてあり、ルーツを大切にし、宗教に根付いた生活をしておるわけですよ。
日本の現代家族や人間同士のつながりの希薄さは「教会を軸としたコミュニティ」に代表されるようなものがないからでは、という意見も聞きますし。
(昔はそれはムラの寄り合いであるとか、長屋のつながりであるとか、そういったものが代用になっていたのでしょう。
もちろん、その頃は日本にも今よりずっと生活に密着して仏教があったでしょうし)
ただ、今の日本は「宗教戦争」だけは起こさない、それだけはいえる(笑)
たった一つだけだけれども、火種がひとつない、それだけで救いだなぁと。
必要としてるヒトから見たらとんでもない「タワゴト」に聞こえるでしょうが。
この先、もし地球から人間がひとりもいなくなり、緑の森がかつての勢いを取り戻したとき、そのとき初めて神を感じることができるだろうと思うわけでして。
感じるときに肉体がないのが残念ではあるし、そうなるかどうかも分からないのですが。
昔からフシギだったんですね、なぜ、「神は人のために存在」してるのかが。
生物すべてに平等にあるべきではないのか、と。
だから、「どうせ人の造った「人造物」なんだから、それに縛り付けられることはない」と思うわけですね。
補足すると、今イラクで「自分の意志で」アメリカ兵に対抗してる民間人はすべて「ジュネーブ条約適用外」ってことになります。
適用されるのは「対国家組織」に対してで、個人や個別組織には適用されません。
例えば、アルカイダなどは適用外ですね。
アルカイダといえば、捕まえた幹部達を収監するためにわざわざ孤島に施設作ったってコトですが、それから続報がさっぱりありませんね。
いったい、何をされてるんでしょうか、気になります。
なにせ彼ら、「適用外」なわけですから。
>テロとレジスタンスの境は誰がどうつけるのでしょうか。
アメリカが、アメリカの好きなようにつけるんです。
帝国は~と~ても~つ~よい~(♪ダース米だーのテーマ)